(ちょっと長い)はじめに

【OLD FACTORY BOOKSへようこそ】

本屋OLD FACTORY BOOKSのホームページをご覧いただきましてありがとうございます。

本屋OLD FACTORY BOOKSは2020年7月3日に開店しました。

古くから漆器の街として栄えた和歌山県海南市の黒江・船尾地区にあり、このOLD FACTORY BOOKSのある旧田島うるし工場もまた元々はうるしの精製工場だった建物(文化庁の登録有形文化財に指定されており、昭和2年建造の建屋です)を利用しています。店の名前をつける時、この空間に魅かれ、この場所で本屋がしたい!と直感的に思ったので、この場所だからこそ付けられる名前をと、古い工場にある本屋さん「OLD FACTORY BOOKS」は誕生しました(そのままですが笑)。本屋の店内と同時にこの歴史ある建物もご覧いただければと思います。

外観です

【カフェもあり、大きな展示、イベントスペースもあります】

OLD FACTORY BOOKSのある旧田島うるし工場には「そうげん堂」という素敵なカフェもあります。身内を褒めるようで恐縮ですが。

そうげん堂は日中に営業しており、なかなかカフェと本屋の両店が同時に開店していることは少ないですが現在は土曜日はカフェも本屋も営業しています。またほかにイレギュラーで営業するときにはinstagram等のSNSでお知らせしますのでご来店をお待ちしています。

そうげん堂店内
ランチプレート
アイルランドに暮らしていた2人の作るサンドウィッチがたまりません。チキンサラダサンド(メニューは時期により変更します)。
BBQポークサンド(メニューは時期により変更します)

また本屋+カフェに加え、旧田島うるし工場には大きな煉瓦堂と呼ばれる展示やイベントを行うスペースがあります。

こちらもまた不定期ですが展示やイベントも行いますので楽しみにしていただけたら嬉しいです。本屋のイベントもこの場所を使っていきたいと思っています。

【本屋を開くまでの話】

そんなわけでここからは僕が本屋を開くまでのお話を少しさせていただきたいと思います。

1983年和歌山市に生まれた僕は本好きの両親の元、よくWAY(和歌山ではお馴染みの書店とレンタルビデオの店)や今は無きぶらくり町界隈にあった宮井平安堂で本を買って貰っていたのを覚えています。

大学進学を機に京都へ。約10年間ほど京都で暮らしていました。

京都でも恵文社一乗寺店やガケ書房(現ホホホ座浄土寺店)、ジュンク堂書店などに通い詰めていましたが、1番よく通っていたのが家の近くにあって遅くまで開いている(23時までやっていてこれが1番大きかった)「ヴィレッジ・ヴァンガード京都北山店」でした。残念ながらこの「ヴィレッジ・ヴァンガード京都北山店」はすでに閉店しています。

よく大型のショッピングモールに入っている大衆化したヴィレッジヴァンガードではなく、当時の「ヴィレッジヴァンガード京都北山店」もまた個性的でエネルギッシュでちょっとHでした(特に地下フロアが)。ジムジャームッシュ、ヴィンセントギャロ、チャールズブコウスキー、中島らも、下川裕治、沢木耕太郎、村上春樹など挙げ出したらキリがないですが家のそばにあったヴィレッジヴァンガード京都北山店で大好きな表現者にたくさん出会いました。

そしてアルバイトしては本を買う、アルバイトしては本を買うを繰り返し、自分の見ることの出来る世界を本が少しずつ少しずつ広げてくれました。

そして京都で知り合った今の妻(当時は彼女)やその友人たちと遊び呆け、ヴィレッジヴァンガードやその他本屋で本を買い、合間合間で海外旅行をしていました。

20代の終わり。28歳のときに妻と結婚したと同時にヴィレッジヴァンガードに山のように積んでいた高橋歩の影響もあって、2年間(その内半年はオーストラリアでワーキングホリデー)、約50ヵ国を巡る世界一周ハネムーンに旅立ちました。

結婚式は下鴨神社にて。
中国・四川省理塘(りたん)
中国・四川省理塘(りたん)
ボリビア・ラパス
レバノン。サイーダにて。パレスチナ人の皆さんと
オマーン
パキスタン
アメリカ・モニュメントバレー近郊
ペルー・アマンターニ島
ボリビア・コチャバンバ

約2年間の世界一周旅行を終え、30歳で和歌山へUターン。

築150年ほどの古民家を購入し、同じ紀美野町のアレン・ドミニクさんにリフォームしてもらい田舎暮らしをスタートさせました。

田舎暮らしと同時に2人の娘も生まれました。

日々の忙しさにあたふたしながらも自分の本当にやりたいことは何かを模索していました。

古民家の離れを使ってブックカフェでもしようか、いやレトロな軽トラを買って移動古書店でもしようか、いややっぱりゲストハウスが良いかなあれやこれやと考えているうちに日々の仕事、子育てなど慌ただしい忙しさもあって時間ばかりが経っていました。

築150年ほどの古民家に暮らしています(2022年現在は本屋のある和歌山県海南市に居を移しています)。
ヤギも飼っています。
保育園に行く前に子ヤギを抱っこするのが長女の日課でした。もう大きくなってしまいましたが。

【旧田島うるし工場で本屋をするようになったきっかけ】

そんななか2019年の春。妻が京都時代に働いていた出版社の元同僚だった旧田島うるし工場の運営メンバーかつ「そうげん堂」の中田耕平さんからグループ展をしてもらえないかと誘ってもらいました(ちなみに中田さんは僕の兄と同じ海南のアトリエ「七つの音」に通っていて高校生の頃の中田さんも朧げながら記憶にあります)。

「なんか煉瓦作りですごい場所がある。真奈さんはそこでカフェをするみたい」と色々妻から話を聞き、グループ展の開催に合わせ、初めて旧田島うるし工場を訪れました。

それが2019年の5月23日から6月9日まで開催されたグループ展「こことあそことそことここ」でした。

なんと素敵な場所なんだろう。

初めて訪れた旧田島うるし工場にすぐに魅了されました。

外国っぽい異国的で、決して新しく機能的ではない長い年月をかけてきたからこそ出せる深い味わいがありました(もちろんその味わい深い建物だからこその不便さを店を初めてから味わうのですがそれはまだ知る由もありません)。

そしてここにいる人たちにもまた自分ととても同じ種類の雰囲気を感じとりました。

それは京都時代、一緒にお馬鹿なことをたくさんした(妻を始め、妻が通っていた京都精華大学の面々)友人たちと同じ種類の匂いでした。

青春の延長線上のようなこの場所に関わっていきたい。僕は意を決してこの「そうげん堂」の店内で古本の委託販売をさせてもらおうとお願いしました。

心よく古本の委託販売をさせてくれた中田夫妻。

忙しさにかまけてなかなか古本の補充はできていませんでしたが、そうげん堂に遊びに行くたび「こんな本が売れたよ」と声をかけてもらい、またお客さんが喜んでくれた話、本を買ってくれてその場で全部読みまた本棚に返して帰ってくれたお客さんの話、全ての聞かせてくれるお話が僕にとってはとてもありがたく、嬉しく、少しずつ自分の自信になっていきました。

そして少しずつの自信が積み重なり、いつからかこの場所でもっと本格的に自分の店、本屋がしたいと思うようになりました。

この旧田島うるし工場で本屋がしたい!でもその思いはハッと我に返ると難しそうな気がしてきました。まだ幼い2人の娘を抱え、会社勤めです。いつできるのか? 店ができるような時間にお客さんなんて来るのか?安いって言っても家賃だってかかるし、店を始めるのにもきっとお金がかかるはずと不安を挙げればキリがありませんでした。

でも正直、30代の半ばを過ぎ、今までの自分を振り返るとずっと自分は何をしたいのかを決めきれずにいました。

あれがいいかな、これがいいかな。ちょっとやって、でも違ってやめるの繰り返しでした。

本屋をやろう!と決心したとき、もうこれしか残ってないと痛切に思いました。そしてそれと同時に回り道をして回り道をして結局スタート地点に戻ってきたような気がしました。

そして僕は生まれてこの方、ずっと本が好きだったなと思い出しました。

もういつまでもあれこれ迷えない、迷ううちに寿命がきてしまう、そういう思いで一歩踏み出すことにしました。

そして意を決し、この旧田島うるし工場で本屋がしたいと中田夫妻初め旧田島うるし工場の運営メンバーに頼むと快く受け入れてくれました。と同時に煉瓦堂の1番奥のスペースが荷物置き場になっていてそこを使って良いと言われました。そこは雑然とした物置のような場所でした。

「よし、ここで自分の本屋をしよう!」

そう思い立ったのが2019年の12月でした。

【本屋ができるまで】

今の本屋がある場所。最初はこんな感じでした。

置かれていたものが無くなるとそこは圧倒的な煉瓦の空間と本屋にするにはちょうど良さそうなスペースでした。

まずは床を丁寧に拭き、自然派オイルのワトコオイルを塗りました。照明の明かりも煉瓦堂と同じ色に統一させました。

店の正面には25歳の時にアメリカのニューメキシコ州サンタフェのギャラリーでもらったポスターを店の象徴となるように飾りました。

そして我が家をリフォームしてくれた同じ紀美野町のアレン・ドミニクさんに階段を上がった場所に壁を作ってもらい、そして店の扉を設置してもらいました。

壁ができ、だんだんと店っぽくなりました。

そして本音を言えばドミニクさんにカッコいい本棚を作ってもらいたかったのですが予算オーバー。でも会社の同僚に木工の達人がいて、ホームセンターで木を調達、カットしてもらい、その人に手ほどきを受けながら本棚を自作していきました。

本棚を作り、それにもオイルを塗り、近所の元薬局だった古民家に住み始めた方に什器をいただいたり、大好きなアメリカンショップで備品を調達し、本も手当たり次第並べ、いよいよ店っぽくなってきました。

けれど時は世界的に猛威を奮うコロナウイルスとの闘いの真っ只中。別に焦って開店する必要はなかったのですが、待っていてもいつ終息するのかも分からない状況。

意を決して遂に2020年7月3日金曜日。

旧田島うるし工場にある本屋「OLDFACTORY BOOKS」は開店しました。

開店時にニュース和歌山様に取り上げていただきました。ニュース和歌山2020年6月27日掲載。

【僕の実現したい本屋さん】

営業日は少ないですが、やっぱり本屋をすることはとても楽しいです。

日々新しいお客さんが来てくれるのも嬉しいし、ありがたいことに気に入ってくれて何度も通ってくれるお客さんもいてくれます。

本屋稼業は自分の天職だと実感しています。

そして自分には最初に本屋をやりたいと思ったときに強く思ったこんな店にしたいという二つの理想、信念があります。

一つは僕が二十代だったとき。ヴィレッジヴァンガード京都北山店で(もちろん他のたくさんの本屋でも!)色々な本に出会いました。そして一つ一つの本が自分の世界を広げてくれ、世界はこんなに多様で、生き方も多様であることを教えてくれました。

だから今度はこれから世界に出る自分より若い人に自分が一番好きな本を通して、生きる世界が少しでも広がるようなお手伝いがしたいと思っています。

二つ目は自分が世界を歩く中で、やっぱり魅力的だなと感じた国は他のどこにも似ていない独自性が強く、個性的で、多様な国でした。

個性的な国は明るく、眩しく、そんな国にときめきました。

だから個性的であること、多様的であること。それが一番目指したい自分の本屋像としてはっきりあります。

ですので階段を上がってきてくれたお客さんがこんな場所に本屋があるなんて!と感想を言ってくれたときにはとても嬉しいです。

一つ僕の好きな言葉があります。あの岡本太郎がジミー大西に向けて手紙で贈った言葉です。

「キャンバスからはみ出しなさい」。

その言葉を胸に、もっともっと既成の本屋の枠をはみ出るような本屋を作っていきたいと思っています。

そして海外から日本へやって来た人が、直接的であれ、間接的であれ、この本屋を通し、「日本って個性的だね」「日本って魅力的な国だよね」と感想を伝えてくれるような本屋にしていきたいと思っています。


まだまだOLD FACTORY BOOKSの旅は始まったばかり。

将来はもっともっとイベントもしたいし、作家も呼びたいし、もっともっといろんな本を紹介したいし、もっとアンティークの本棚や什器も増やしたいし、照明も替えたいし、海外に買い付けも行きたいし、オリジナルグッズも作りたいし、営業日も営業時間も増やしたい。できることは限られていますが、やりたいことは尽きません。

でも今は積み重ねること、少しずつ努力をしていくこと。それが今後大きな成果につながっていくと信じて少しずつ進んで行こうと思っています。

本はアマゾンやメルカリでも買える便利な時代です。

でも便利な世の中に負けない付加価値を持つ実店舗をこの旧田島うるし工場で作りあげていきたいと思っています。

ぜひご来店をお待ちしています。

OLDFACTORY BOOKS店主 

助野彰昭

2021年5月26日