ぼくが本の未来について思うこと。

先日NHKの「趣味どきっ! 本の道しるべ 読書の森」を観ていたときのフランス文学者の鹿島茂さんが語っていた言葉が印象的で、本屋を営む自分自身にとっては少々ショッキングな内容でした。
それは「紙の本はいずれなくなるだろう」「少なくとも情報としての本は姿を消し、自己表現系の本だけになるだろう」「昔の写本(手書きで複製された本や文書)のような存在になるだろう」という言葉でした。

約3年、週末本屋を営んできた実感としては本を売ることはとても難しく、SNS隆盛の時代において本の相対的な価値の低下を感じます。
いくら素晴らしい内容の本を並べ、並べ方や見せ方をああでもない、こうでもないと試行錯誤したところで本そのものに興味や関心がない人々にはどうあっても届けようがないという現実に直面する毎日です。

本という商材を扱いながら日々売らんかなと試行錯誤することは、穴が開いた沈みゆく泥船のなかで、必死にバケツで水をかき出しているという行為と等しいのではないかと思ったりもします。

そして本以外の商材を扱うことを日々模索しながら、一旦、本という線路の上から外れ、隣の線路の上に立つと悲観するような未来など何もなく、ただ一本進む線路が違うだけで、何と違うことだろうと思ったりもしました。

ただ悲しいかな、僕が愛してやまないのは本という存在です。フランス文学者の鹿島茂氏がいずれなくだろうという紙の本です。

その中で少なからず希望の言葉があるとすれば「少なくとも情報としての本は姿を消し、自己表現系の本だけになるだろう」「昔の写本(手書きで複製された本や文書)のような存在になるだろう」という言葉です。

例えていえば、現在ZINEと呼ばれる主として個人が作り、編む小規模の出版物がそれに当たりそうです。

もし仮に最悪な未来を想像し、本を扱う出版社やバーコードの付いた書籍というものが存在しなくなったとしても、鹿島茂氏がまだ辛うじて残ると言われたのがZINEではないかと思います。

最近も当本屋では佐藤洋美さんの「モン族の襟布」や「WALKING 1」、tamazo(鉄窓花書房)さんの「鉄窓花蒐集帳」、おかやまたかとし君のイラスト集などが入荷しました。

これらの本を手にして感じるのはZINEこそ人間の本質的な部分に表在する表現欲求の発露であり、手軽な表現媒体である小冊子というものは本屋の最後の砦のような存在となると感じます。

この最後の砦がある限り、どれだけ本屋が少なくなり、本を読む人口が減り、本屋だけで飯が食える本屋店主が減ろうとも、少なからず本屋の存在価値は残り続けると思います。

もちろん未来を悲観し、ただ嘆いているだけではいけません。

もしかしたら本の価値がもっと強く見直され、本や本屋の未来はもっと明るいかもしれません。未来を切り拓くのは本に携わる人々であり、本を買ってくれる皆さん自身です。

そんなことを考えながら、今日もどうしたら自分が良いと思った本をできるだけたくさんのお客さんに届けられるか、試行錯誤する日々が続きます。

NO ZINE NO FUTURE。

ZINEなくして、未来なし。

僕は本の未来について、そう思います。

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