お客さんと中上健次 

古い街の入り組んだ細い路地の中にある、年季の入ったレンガ工場の中にある小さい本屋に僕はいつもいる(この場所を説明する形容詞が多すぎる)。いったい誰が来るの?という場所だけれど、それでも少なからずいろいろなお客さんに来ていただく。

なかには気に入って通っていただく方もいて、昨日の展覧会初日に合わせて来てくれた男性はよく本屋に来てくれる常連さんの一人。

元々地元のテレビ局のプロデューサーの仕事をしていて、本屋を開いてなければきっと出会えなかっただろう。そんな出会いもまた僕がこの場所で本屋を始め良かったことの一つ。

男性は本好き、アート好きで各地の本屋、古本市、美術館の展覧会に足繫く通い、そのフットワークの軽さは目を見張るものがある。海外のアンティークショップめぐりも趣味の一つにしていて、本屋が入る時を重ねた赤レンガの工場も気に入っていただき、この本屋やこの場所で活動する皆を応援してくれるサポーターのような存在である。

いろいろな話をするが、なかでも和歌山が生んだ文豪・中上健次との邂逅や岡本太郎をテレビ取材したときの逸話などの話はそれだけで一冊の本が作れそうな内容だ。また本やテレビを通してしか知り得ない作家や芸術家がその男性の言葉を通すと、すごく身近な存在となるのは何だか不思議な気持ちにさせられる。

特に郷土愛が強く(もちろん酒も強く)、情に厚かったという中上健次の話は本を扱う自分としては貴重すぎるほどの話である。

「同じ和歌山出身というだけでとても人情厚く接してくれた。大作家になったけれど、ずっと田舎の兄ちゃんの風情を残していた。きっと生きていれば、この本屋にも来てくれたんじゃないだろうか」

男性はそう言って、中上健次との思い出を振り返ってくれた。

中上健次に来てもらえるような本屋にはまだまだ到底たどり着けそうにないが、あの中上健次が来てくれたら、ゆっくりと階段を上がってきて、鋭い目で本棚とレンガ壁の空間を見たあと、こちらを見て柔和な顔をしてくれる。そんな想像をしながら、本屋をするのもまた楽しい。

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